思ったより、オベリスクがクリーンヒットしている自分を発見しました。
というわけで、見に行ってきましたよ!サヨナラノツバサ、3回目(あれ?
いや、実は2回目は震災の翌週に、日常に戻ろうキャンペーンとして見に行ったので、ちょっと感想まで書いてる心の余裕がなかったので。
もう1回見ておかなきゃ、もし明日なにかが起こったら悔いが残ってしまう、と自分を奮い立たせて観にいったので、爆発に飲み込まれる避難ブロックとか、廃墟になったアイランド1が、胸に痛かったです。
うん判ってる。二次元に体験もしていない現実を重ねて胸を痛めるのは、誰の得にもならないただの感傷です。
ただ、そういえばこれも非常事態の物語だったっけ、というのを再認識しました。
それでもその中でも活発にコンサートなど催されているのは、やはりリン・ミンメイの偉業が歌の価値を押し上げたせいかしら、なんて。
まあ、それはともかくとして、ようやく吹っ切れてきた3回目。
前2回のときは無かった、フィルムの一部がおまけについてきて、さらにお得感倍増です。
イツワリのとき劇場でもらったのは、フォルモに行く前の草原で、ジャイロスクーターをかっ飛ばす豆粒大のシェリル。
イツワリのDVDについてたのは、シェリルとアルトの指飛行機。
そして今回は、これは良いトライアングラーなあのシーンの、車椅子とシェリルの足元、でございました。
すべて、キャラの顔は出てないわりに見事にシェリル絡みのシーンばかりなのは運命?(笑
以下はネタバレと萌えと燃え全開で感想行ってみたいと思います。
書き始めたらなんか気持ち悪いくらい長くなってしまったので、とりあえず今回は総括と、W歌姫のTVと劇場版の対比についての感想に絞ってみました。
それでも十分長いけどな!
ひとつの作品を3回も観にいったのは、スペーストラベラーズ以来です。
スペトラとか、もはやマイナーすぎて誰か知ってる人居るのかしら(笑
ちなみに次点で2回観にいったのは、マトリックスとハリポタ賢者の石。
まあなんていうか、はまるとしつこい性格は昔からです、ということで(笑
ほんとはナルニアも劇場で観ておきたかったのだけど、サヨナラノツバサが同時期に上映されている以上、選択肢に入らないのは許して欲しい(笑
マクロスは本当に、劇場で観てナンボだと思います。
まあ、監督の目論見どおりなのが癪ですが(笑
もうそろそろストーリーも把握してきてるのに、ただ、ライブシーンと戦闘シーンを見ているだけで心地よいってなんなの。
できればもう一回くらい行っておきたいな…なんて。
・全体のこと
これはもう、前にも書いたと思うのですが、よくぞここまでまとめきったな、と。
見てよかった。よくぞ、造ってくれた。
イツワリノウタヒメの時点でもぞくぞくきてたのですが、この後編のたたみかけっぷりというか、広げた風呂敷を畳む手腕はほんとに素晴らしかったと思います。
ランカの好感度が急上昇したせいで、頑固なアルシェリ派の私としても、ふられたランカがないがしろになるのも、ランカそっちのけでアルシェリラブラブエンドになるのも、納得いかなかっただろうなあ、と思うので。
ちなみに私は、アルトは生きている派です。
エンディングでシェリルの唇が動いたの、どうやら3文字です。するってーとそんな3文字「アルト」しかないですよ。そして、光るフォールドクォーツ。
イヤリングを通じて、ふたりは繋がってる、と思うます。思いたい。
いや正直ね、フォールドした先が真空だったらいろいろアウトじゃん!という心配もあるのですが、そこはほら…空気読んで3人の会話も中継してくれた(ように見えた)クィーンが、たぶんなんとかしてくれる!
うっかりするといつぞやのランカみたく、大事におなかにナイナイされて、眠り続けたらどうしよう、とかいう危惧もありますが(笑
あの時点で気持ちはバジュラと通じ合ったと解釈していますが、根本的に文化というか生態というか思考が違うはずなので、クィーンがおなかにしまったちいさいのを、元の群れに返してやろう、と思い立つかどうかは、正直賭けだとも思います。(すでにおなかに仕舞われるの前提:笑
機体もないので、アルトが帰って来れるかどうかは本気でクィーン次第なんですよね…。
あるいは、ランカからの輸血などの治療が功を奏して、自然に目を覚ましたシェリルさんがですね、イヤリングを通じてアルトの置かれた状況を知って「迎えにいくわよランカちゃん!」とかどうでしょう(どうでしょうって…
やった!アルト姫、完璧にヒロインポジション!囚われの姫君!シェリル王子カッコイイ!(笑
ああそれと。
懸案だった、冒頭の教会の扉を開く人影ですが、あれ、アルトですよね。
ほぼ、確定だと思います。
人影→顔の右側に一定量の長さのそろった横髪有り。ポニーテール(頭の輪郭の上に結って高くなった部分が飛び出てる
男装シェリル→右側には短いほつれ髪のみ。結び目はうなじのやや上。
というわけで、アルト帰ってくるよ!信じてる!
というか、監督がインタビューで
「まあ、彼らの人生はこれからも続くので」
とか口をすべらしてたよママン。
しかし、そもそもの設定からメインヒロインがランカだったTVシリーズに比べて、すっかりシェリルがメインヒロインと化した劇場版ですが(それはそれで満足ではありますが)
ガリア4のエピソードとかアイモの秘密がざっくり削られちゃったのはちょっと残念です。
アイモがバジュラの恋の歌で、「あなた、あなた、」って歌ってるんだよ、というランシェママのシーンは結構好きだったのですよ。
何千年(だっけ?)に一度、別の銀河に住む別の群れと出会ったときにだけ歌う、恋の歌。
まあ、ラストにバジュラに歌わせちゃった以上、恋の歌だと人類困っちゃうので、しょうがないのかな(笑
・ランカのこと
正直なところ、TVシリーズを見ていたときは、ランカにしょっちゅう苛ついていたのですよ。
いじらしいし可愛いし、もうほんとずるいくらい可愛いんだけど、周囲が色々もがいている中で、ほんとにただひたすら自分の恋だけで一杯一杯な様子がねー。
作中のランカは15歳と聞いてさもありなん。ではあるのですよ。
初恋に振り回される中高生(のイメージ)そのままというか。
自分がアルトを好きって気持ちだけで世界がいっぱいになってしまってる様子が、いじらしいと言えばいじらしいのだけど、そこのリアリティは観てると痛い、という気持ちもあり。
そして、一番周りから守られてるくせに一番打たれ弱くてすぐ歌えなくなっちゃうところが、もどかしくてなー。
そういう意味で、劇場版で精神年齢を引き上げられた結果、一番成長著しいのがランカだったように思います。
ちゃんと、自分のすべきこと、自分に出来ることを模索して見つめている様子が、実に頼もしい。しなやかに、強くなったなあ、と思います。
決戦前の告白シーンも、あ、ちゃんと相手を見てるんだな、と。
TVシリーズで、気持ちを伝えなきゃ!って思い立ったときの彼女は、自分の気持ちしか見えてなくて実に危なっかしかった。そして案の定、アルトがシェリルと一緒に居るのを見ただけでパニックになって歌えなくなって、それでも歌ってくれと頼まれて、自棄になって歌ったせいで、結果として事態の悪化を招いてしまったわけで。
それに比べて、劇場版ランカの強さといったらもう。相手の気持ちを察して、覚悟決めて、自分の気持ちにけじめをつけるために告白(と私は受け取りました)とか、大人になったなあ…と思います。
たとえ叶わなくても、きちんと伝えなきゃ前に進めない。という覚悟はつまり、それでも前に進んでいこうという強さだと思うのですよ。
そういう強さを持てたのは、精神年齢が引き上げられたせいだけなのか、あるいはランカにとってのアルトが、TVシリーズでは、突然現れて危機から救ってくれた王子様的存在だったのに対して、劇場版ではずっと日常を一緒に過ごして見つめてきた友達だった、という立ち位置のせいなのか。はてさて。
シェリルとの関係性もまた同じく。
TVシリーズのランカにとって、シェリルって最後まで「憧れの芸能人」で「アルトくんを連れて行ってしまう遠い人」でしかなかったように見えたのが、残念でならなかったのですよ。
シェリルが倒れて姿を消しても、グレイスに大丈夫よと言われただけで安心して気にしなくなってしまう辺りとか、TVの中の人だと思っているからなんじゃないかと。
シェリルの方は、様々な意味でのライバルとして認めて、折に触れ助けようとしているように見えただけにもやもやするというか。
そのせいで、最終回でいろいろ目覚めたランカがシェリルに手を差し伸べるシーンの、取って付けた感がなんともいえないことに…(がっかり感
バジュラにも気持ちがあると思うの…っておにーちゃんと出奔したのも、橋渡しをしたいとかそういうのではなく、ただの傷心旅行に見えたのは意地悪に見すぎかしら。
まあシェリル贔屓の色眼鏡と言われれば否定もしづらいですが(笑
でも劇場版では、そんな諸々をすっとばすような、らぶらぶっぷりだったわけで、度肝を抜かれました。
このランカ、絶対アルトよりシェリルが好きだろ、と思ったことも何回か(笑
相変わらず憧れてはいるものの、その憧れの種類が「TVの中の芸能人」から「追いかける相手」に変わっているような印象を受けました。TVではあんなにも、自分からシェリルに働きかけることのなかったランカが、この変わりよう。面会のシーンしかり、慰問ライブの発案しかり。しっかり相手を同じ人間として見て、その内面にまで目を向けている様子が、本当に大人になっ(略
最終決戦で、同じ舞台で手を取り合って歌ってる姿も可愛いです。
再会したとたん、手を取り合ってる姿が女の子ちゃんしててまた可愛い(結局なんでも可愛い
TVシリーズでは結局最後まで、モニタ越しの共演だっただけに、感慨深いです。
まあ、結論としては、劇場版のランカが可愛いぜちくしょう。っていう…(笑
ライブシーンはもうね、可愛すぎて魂出ちゃいますよ。振り付けがいちいち可愛いんだ。
星間飛行の振りはそんなにキュンとしなかったのですが、シェリルの前での「乙女心、勇気出して」の手の振りとか、いちいちクリーンヒットです。
縦ロール可愛い魔法少女の鍵を取り出すしぐさ可愛い「歩くリズムで~」のところの歩き方可愛い。
いやもう全部可愛かったです。ずるい(笑
綺麗なのはシェリルのライブなんですが、ランカのライブはなんていうか、いとおしいです。
・シェリルのこと
しみじみと、TVシリーズのシェリルさんは儚かったなあ、と思いました。
劇場版シェリルのタフなことタフなこと(笑
自分のルーツも、病気のことも、利用されていることもなにも知らなくて、突然の裏切りに打ちのめされて翻弄されていたTVシェリルに対して、すべてにおいて(ギャラクシー側の計画の全容は知らなかったにせよ)自覚的で、常に自分の生と死を見つめ続けて、それでも歌を選んだ劇場シェリルの潔さは、もう男前と言うしかない気がします。
ただ、すべてを自覚しているだけに、アルトへの気持ちにも揺らいでしまっていたところに、やや危なっかしさがありますが。
一度どん底に落ちて、その泥だらけの中から再び立ち上がったTVシェリルの葦のような強さに対して、劇場シェリルは常に折れない強さがあるのに、アルトによってだけぽっきり折れてしまいそうな気がしました。
なんでかなーと考えて、TVシリーズでのシェリルはアルトに対して「私を有名人扱いしない面白い奴」という認識から始まって、徐々に惹かれていったんですよね。つまり、歌手としての自意識はアルトに依存せず、すでにシェリルの中で確立しているので、ぶれない。でも劇場版ではそもそも「歌で銀河を震わせたい」という願いの根っこに、アルトの歌舞伎が居座っちゃっているのですよね。なんという運命の人状態(笑
だから、歌は命だから、延命のために声帯を切除するなんてありえない。そこが定まっているにも関わらず、アルトに会えなくなっても?というグレイスの問いかけに揺れてしまうし、アルトの怪我に動揺して、戦わないでと口走ってしまう。TVシリーズに比べて2割り増しくらい、恋する乙女になっちゃってるんですよね。
タフさは増しているにも関わらず。
その辺が、TVシリーズと変わった立ち位置のせいで客観性を手に入れたランカと対照的で、面白いな、と思います。
その人間臭さがまた、シェリルの魅力でもあるわけだし。
彼に会えなくなっても?のシーンの、すっぴんシェリルさんの頼りなさげな表情が、可愛くてもー!(笑
そしてその恋する乙女になってしまっているシェリルだからこそ、ランカをアルトに託して宇宙に消えていくあの決断が、際立つのだと思います。
どんなに生きていたくても、どんなにそばに居たくても、ランカの命を踏み台に生き延びてしまったら、シェリルはもう、それまでのようには歌えないでしょう。ましてや余命いくばくもない自分に対して、健康で未来のあるランカ。ふたりとも助かれそうにない状況で、身を引くしかない葛藤のすべてが、あの涙にこめられているとしたら、切ないなあ。
そしてそこに、むやみやたらな台詞を挟まなかった監督のセンスに万歳。
そりゃあ、ね。なにも言えないよ。なにを言っても嘘になりそうだし。
でも、あの一瞬でシェリルの葛藤は全部、アルトに通じたと信じてます。
生きててくれたから、なにもかも結果オーライなのが、ほんとに嬉しい。
アイ君グッジョブ!ほんとに、よくぞ居てくれた!
初見のときは、8割がたきっとどうにかして生きててくれる、と思ってはいたものの、その根拠はストーリーの構成上の問題だけだったので、どうやったら真空に吸い出されて生き延びられるのか思いつけなくて、大変やきもきしましたよ。アイ君の存在に気づいてなかったので(笑
すべて戦いが終わって、アルトとランカの前で力尽きるシェリル、なら望んではいなかったけれど想定の範囲内だったのですが、あのタイミングはなあ…。最終決戦にW歌姫が揃わないとかもうね!
放課後オーバーフロウの間、欠損感にずいぶん苛まれたものです。
だって監督ドSだから、こんな形で予想を斜め上に裏切ってくれることも、ありえる気がして非常に怖かったです。
生きてると判ってる2回目以降も、やっぱり胸が痛いシーンに変わりはありませんが。
ラスト、倒れる前のシェリルが最後に見たものが、せめて無事フォールドしていったクィーンとアルトであるといいな、と思います。
あの時間差だと、クィーンとアルトに連合艦隊の主砲が命中してしまったようにも、見えたのではないかと気が気ではなかったり。
ただでさえ生死不明なのに、最後に見たのがそれだなんてちょっと救われないので。
アルトの最後の言葉で張り詰めてた緊張の糸が切れちゃったのか、泣き笑いで手を差し伸べるシェリルの子供のような表情がたまりません。
着弾の瞬間を見てないといいな、と思ってましたが、今日見たら着弾したの見て叫んでましたな。フォールドに気づいててくれよー。遠くに行っても、生きてればいつか会えるんだから。
それにしても、TVで死に瀕したシェリルは儚い妖精のような印象を与えましたが、劇場版のシェリルは、まるで燃え尽きる寸前に一番明るく燃えあがる炎のような印象でした。
刑務所で星間飛行に重ねて歌いだすところとか、廃墟のノーザンクロスとか、いちいち鳥肌が立ちそうなほどぞくぞくします。
それでいて、そのあとのサヨナラノツバサの最後の「愛してる」の可愛らしさとか!
そういえばサヨナラノツバサの歌詞「バルキリーが~♪」だとばかり思ってたら「ヴァルキュリーアー♪」だったのでちょっと驚いた(笑)まあ、語源は一緒ですが。
・W歌姫の対比
劇場版を観る前、TVシリーズにどっぷりだった頃のことです。
ランカがバジュラに囚われて、アルトがそれを助けるために出発するシーンがあるのですよ。
バジュラとの戦闘が激化する最中に、援護無しの単独行動を条件にもぎ取った救出作戦です。
見送りに来たシェリル「約束して。必ず無事に帰ってくるって(大意)」(不安とか諸々をこらえた顔で)
フラグクラッシャーアルト「ありがとう!必ずランカを連れて戻ってくる!」(そこじゃない!そこじゃないよアルト!
という会話があるのですが、このシーンについて友人と話していたところシェリルは、絶対にランカを見捨てられないアルトの、背中を押すタイプだけど、ランカはどうだろう?という流れになりまして。
シミュレートした結果こうなりました。
アルト「シェリルを助けに行ってくる!援護無しの単独行動だけど行ってくるよ!」
ランカ「そんなの危ないよ、駄目だよアルト君!」
アルト「でもシェリルを見捨てるわけにはいかないだろう」
ランカ「そうだけど!そうなんだけどえーっと、えーっと、でもでも、危ないよアルト君!(2行前に戻る)」
シェリルを見捨てろというつもりはまったくないけども、それをアルトが単機で助けに行く、という事実にアルトが危ない目にあったらどうしよう、という想定だけでいっぱいいっぱいになっちゃいそうで、シェリルの危機までは実感できなさそうな、そんな危うさがTVシリーズのランカにはあったんですよ。(特にこのエピソードはまだ中盤なので)
プライドゆえに背中を押すシェリルと、いっぱいいっぱいゆえに押せないランカ。
その対等でなさが、シェリルファンとしても、一視聴者としても、もどかしいというかはがゆいというか。
それが、今回劇場版で、綺麗に解消されたのは、ちょっとした爽快感がありました。
身を引いてランカをアルトに託すシェリルと、アルカトラズ潜入を自ら提案するランカ。そして最後の戦いに行くアルトを、ちゃんと見送るランカ。
このランカならきっと、シェリルを助けに行けと、アルトの背中を押せる気がします。
色々ありすぎて書ききれる気がしません。
したがって、君は近々、山梨に来なさい。
反論は受け付けません。はい決定。即決行。
あ、今週いっぱいは桃の花が綺麗よ?
……すんませんでしたー。w
まあ大半は同意なんですが、TVシリーズ未見の自分には何とも言えない部分も多くありまして。
取り敢えず核心部を言っておくと、「シェリルとランカの間に愛があったから、これはとってもよいトライアングラー」というところですね。
マクロスFのおかげで「よい三角関係」について考えることが増えました。
そのうち二次創作もすると思います。たぶん。
その辺、また考察等含めて色々語り合いたいです。
ヘンリーと仲良くなった頃にチャットを申請するよ!
いや、君が山梨に来てくれるならそれはそれで(以下略)