なんかこう、これ書いて誰が嬉しいの?的な。
いや違う。需要があるから書くのではない。書きたいものがあるから書くわけですが。
ただでさえ、ジャンルが生きているとはいえ2年前に完結した作品なわけで、今まで以上に自分だけが楽しい創作活動だなおい!という葛藤があったりなかったり(だってやっぱり反応は欲しいのよ人間だもの
まあ、今までだって決して王道も流行ジャンルも歩んできてませんけど!
とりあえず、前段階として。
二期最終回に対する考えをまとめてみました。
さんざんあちこちのサイトさんで語りつくされた話ではありますが、やっぱり私も語りたい(笑
私はこう思う、を語りたくなる作品というのは、やっぱり力のある作品なんだなあ、と思います。
というわけで、ウィキペディアで判る事実程度のネタバレをしますので、一応以下折りたたみ。
…長いよ!
あの最終回について、コードギアス、という作品としては、これ以上ない綺麗な決着だったと思っています。
物語としては、他の着地点はなかっただろうなあと。
歩んできた道のりが、もうすでに和解とかハッピーエンドを拒んでいるわけですし。
あの世界で、彼らはああなるしか道が無かった、というのは哀しいことですが。
ただ、作品としての完成度、という視点を離れれば、あの結末は否定したい気持ちでいっぱいです。
その理由としてはまず、ゼロレクイエムへの疑問です。
すべての憎しみをひとりに集めて、断ち切る?そんなことで断ち切れるほど人間の争いの業というものは甘いものでしょうか?
最初のうちは、独裁体制への嫌悪感やある種のショックで、話し合いを持とうという方向に流れるかもしれません。けれど、人は往々にして喉下を過ぎたものは忘れる生き物です。
話し合いを継続できたところで、そのうち第二第三のブリタニアは大小に関わらず出てくるでしょうし、そもそもゼロの立場自体も良く考えれば不安定極まりないです。ナナリーにしたってダモクレスやフレイア関係で足元を掬われる可能性がないとは言えない。扇政権もまた然り。なんか堂々とファーストレディやってるようですが、ヴィレッタさんの存在ははっきり言ってスキャンダルの塊ですよね。
物語に関わった人たちの立場は、限りなく不安定。ましてや他の国々の代表たちは、とりあえずの脅威が去ってしまえばあとは自国の利益を守るためのエゴとエゴのぶけあいをするだけだと思うんですよ。
アニメ作品に、これらの考えを持ち込んでも虚しいだけではあるんですが。
それを思うとね、ああこれはもう、ルルーシュとスザクの自己満足でしかないじゃないかと。
自己満足ですべてを投げ出して、しかもそれで叶えられるものはなにもないなんて、切ないじゃないですか。
もちろん、ブリタニアという積極的に争いを生み出していた国家を事実上壊せたこと、独裁体制の恐ろしさを形で示せたことは、小さくはない一歩である、とも思うんですが…。
残念なのは、ゼロレクイエムもまたテロリズムでしかないということです。
どんな綺麗な理由をつけても、綺麗な演出をしたとしても、あれはテロです。そしてゼロはテロリストです。
テロリズムで得られる平和はまやかしだと、私は思います。
それを為す道しか選べなかった彼らの若さが、とても哀しいように思えます。
たった18歳ですよ。
ああいった世情やアニメ作品において、ハイティーンはほとんど大人扱いだ、というのは置いておくにしてもです。
現代日本の18歳と比べれば、比べ物にならないほどのことを経験し身につけている彼らですが、それにしたって若すぎます。どうしたって、経験値は足りないし、視野も狭いし、かたくななお年頃です。
どうして彼らの周りには、彼らを叱り教え導ける大人が居なかったのか、それが悔しいような気持ちになります。それが理由のふたつめ。
いや、もちろんね、あそこで彼らを叱る大人が登場したら、物語として破綻するし興ざめだというのは判ってます。判ってはいるんですが。
ロイドさんにしてもセシルさんにしてもオレンジ君にしても、誰か、彼らの選択を止めてくれたっていいじゃないか、と思ってしまうんですよ。
その点で、セシルさんには多大な期待を持ってたんですが…ピクドラを見る限りでは、完全にスザクのことを一人前の男として見ちゃってましたな…。
色々考えては見るのですが、やっぱり、何故10代の少年たちが世界まで背負わねばならなかったのか、納得はいきません。どうしても。そういう話なのは判ってるけど!
なんだかね、グレンラガンで17歳だったアニキが「俺は負けられない。あいつらガキどもが、安心してお日さん仰いで暮らせるようにしてやりてェじゃねえか」って、ヨーコに語ったときと同じくらい、やりきれない気持ちになります。
平和な時代なら、17歳だって18歳だって子供なのに。子供でいていいはずなのに。
大人にならざるを得ないでもなりきれない姿は、痛々しく思えてしかたがありません。
・彼らはなにを思ってゼロレクイエムを決行したのか?
ルルーシュの優しさだと言う人がいます。
世界への贖罪だという人もいます。
自分たちへの罰だという人もいます。
私は、彼らのエゴであって欲しいと思います。
優しさだとしたら、そんな優しさ要らないよ!と思ってしまいます。
大事な人たちを残らず混乱と哀しみに突き落として、見ず知らずの大衆という不特定多数に与えられる優しさなんて、クソ食らえですよ。
そして贖罪にしても、罰としても、だからなに?と思うんです。
彼らは、許されたいと思っていたんでしょうか?
まあ、人間なので欠片も思わなかったわけではないでしょうが、彼らが一番許して欲しかった人たちの大半は、すでに居ない人たちなわけで、できることなら許して欲しい、でもそれは不可能だと知っていて欲しいと思います。
というかね、彼らはもうどんな理由をつけたところで、すでに大量殺戮者なわけですよ。
許して欲しい?ふざけるな、です。それを許せるのは死んだ人たちと神様だけです。つまり許しはありえないわけです。
償おうったって、償えるわけもないんです。
いつか穏やかに、歴史が判断をつけるかもしれない。けれど少なくとも、リアルタイムでは無理ですよ。
許されたいとか、自分へ罰を与えるとか、そんな考えでゼロレク計画したなら、甘えるな、と言わざるを得ません。
彼らがもし罪を償おうと思うのなら、その罪にまみれて生きるしかないのだと思います。
命を手放す一瞬で成される贖罪なんてありえない。
生きて生きて、犠牲にした人たちよりもたくさんの人を助けて幸せにするくらいしか、出来ることなんて残っていないのではないでしょうか。もちろん、それで許されるかどうかは別問題ですが。
そういう意味で、ふたりの動機は「エゴ」であって欲しいと思いました。
償いとか愛情とかじゃない。許しもなにも必要ない。もう立ち止まれないところまで来たから、自分たちがそうしたいから。
自分たちが信じた未来のために、自分たちのやりたいようにやる。
それが私個人としては、一番納得できる理由な気がします。
エゴなら、まあね、仕方ないよね、って言うしかないですよね。
でもまあ、ぐるっと回って、やっぱり生きて欲しかったなあ、というところに辿りつくのは仕方ない(笑
生きて欲しかったなあ、と思いますよ。ふたりとも。
死ぬのなんて、いつだって出来るじゃないですか。
死のうが生きようが許されない罪を背負ってしまったなら、なおのこと生きて欲しかった。
どちらにしても許されないなら、せめてナナリーや会長やリヴァルやカレンや、彼らを大切にしていた人たちが泣かずにすむ道を選んで欲しかったと思います。
まあ、生きてたら生きてたで、ナナリーの処遇が悩ましいんですが(無罪放免?…ありえない!
最後に強くなったニーナは結構好きなんですが、やっぱり罪深いよフレイア!
・ルルーシュ生存説
結構根強くあるようですが、私はどちらかというと否定派です。
最初から生き残るつもりであれをやったのなら、色々台無しだし、予期せぬコード継承で蘇ってしまったのなら、それはそれでよけいに哀しいことだと思うのですよ。
ルルーシュというキャラクターを好きな立場としては、彼にそんな死ねない生を歩んで欲しいとは思いません。
死に切れなかった説も、また否定します。だってあの位置をあの角度で刺されたら、たとえ致命的な急所を外していたとしても、きっちり救命措置を取らなければ普通死にます。ので、死に切れなかったイコール治療してしまった、となるわけで。それはどうかなー、と。
とりあえず、今回はこのくらいで。